真珠湾攻撃が始まった――アロハ

真珠湾攻撃が始まった
――1941年12月7日

ハワイに住む福島県出身者の戦中・戦後

アロハ

祖国愛強ければこそ

img198.jpg 人に対して親切にする「アロハ精神」がハワイの伝統だ。しかし、ホノルル国際空港の免税店で日本人旅行者を相手に仕事をしている佐藤進さん(61)は「もう日本人が困っていても放っておきたい」とこぼす。妻の千歳さん(60)が「そんなこと言っていいの」と止めようとするのを「全部事実だから」と制して、話が始まった。

 免税店の入り口には航空券の提示を求める日本語の表示があるのに、航空券を見せないで入ってくる日本人が後を絶たない。「航空券はお持ちですか」と聞いても返事がない。「おはようございます」とあいさつしても知らん顔。店内では「何かお探しですか」と声をかけても「分かってる」とぶっきらぼうな返事。「うるさい」と怒鳴られる。手で追い払う日本人も。「日本人はいつから目が見えず、耳が聞こえなくなったのか」。佐藤さんは日本人の尊大さに腹が立つ。

 話は続く。日本人の観光客が現地の宗教関係者から突然パンフレットを渡され「かわいそうな子供たちのために」と寄付を求められることが多い。その現地の人間は宗教関係者と名乗るが、少額だと受け取らない質の悪いもので、旅行の添乗員が旅行者に何度も注意を促しているにもかかわらず引っかかる。「いらないならパンフを床に置いて立ち去るとかすればいい。寄付集めをしているのが外国人でなく日本人なら、引っかからないだろう」と、外国人に弱い日本人を指摘、“NOと言えない日本人”に歯がみし、ため息をもらす。

 日本の若者が「ワイキキのホテルに財布を忘れた」と青い顔をしてやってきたことがある。英語が話せないその青年に代わってホテルに問い合わせ、部屋まで探しに行ってもらっている間に「あー、かばんの底にあった」と一言、そのまま立ち去った。「ハワイ最後の日にかわいそうにとこっちが心配したのに。悪気はないんだろうが……」と割り切れない様子だ。

 店の出口から入った日本人に続いて入ろうとした米国人を「入り口は向こう」と止めたところ、「若い日本人を入れて、米国人を入れないのは差別だ。警察を呼べ」と抗議されたことがあった。「ここは差別には一番敏感。日本人には最低限のマナーを守ってもらいたい」

 「こんな話は毎日ある。客には、文句を言えない。若い従業員は辞めていく。人生経験を積んだ人でないと勤まらない。本当に血圧が上がる」と苦り切る。

img199.jpg写真の上のほうに「佐藤雑貨」を意味する看板が見える 佐藤さんは伊達町生まれ。父はハワイの砂糖会社に勤めていたこともあり、旧制保原中学4年を終え、19歳でハワイに。日本からの日用品のセールスや金融機関で働いて来た。今は空港での仕事を終えると、車で約10分の所で千歳さんが経営している雑貨店を手伝う。

 その雑貨店が数年前、強盗にやられた。日曜の午後3時ごろだった。若い男2人が来て銃を突きつけ、レジの現金とビールを奪った。

 「娘を知っている。警察に届けたら娘に危害を加えるからな」との捨てゼリフを残して逃走。犯人は日系人だった。「奪われた金額もさほどではなかったし、娘の安全を考えると我慢するほかなかった」。日系人の行為というのもショックだった。以後、日曜日は店を開けない。

 千歳さんは広島出身で被爆者。毎年、日本から医療関係者が健康状態の調査に来るという。「ノーモア・ヒロシマ」に対しての「リメンバー・パールハーバ」。まさしくその両都市にかかわりを持つことの心境や被爆体験について質問してみたが、「もう忘れました」。自分にも言い聞かせるような、短い、乾いた声だった。

 「私らは、がんがん夫婦だよ」と佐藤さん。佐藤さんはこれまでに3回直腸がんの手術を受けた。千歳さんも乳がんの手術を受けて5年になる。「がん宣告された時は青菜に塩だった」と振り返りながら「私は渡哲也の大先輩にあたるんだよ」と笑わせる。「文学通り、2人でガンガン生きていこうと思っている。寿命があるまで楽しく暮らしたい」

 だからというわけでもないが、ホノルル県人会長でもある佐藤さんは1993年3月開港予定の福島空港に、一番機で県人会の仲間と乗り込む計画を進めている。すでに80人が参加を予定しており、「開港日が早く決まってくれないかな」と待ちわびる。

 お店での取材が終わりかけていた時、後ろから突然千歳さんが「はい、プレゼント」と言いながら、キャンデーやガムを赤いネットでつなぎ合わせ、つなぎ目にはピンクのリボンを結んだ特製の“レイ”をかけてくれた。思いがけないお土産に、鼻の奥でツーンと鈍く、熱い刺激が走った

【ハワイの観光客】

 1960年に約30万人だったのが、174万人(70年)、393万人(80年)、697万人(90年)と確実に増えている。

 90年の日本人観光客は143万9710人で、約20%を占める。アジアやオセアニア諸国からの旅行者の64%、アジアからの観光客に限定してみると87%日本人だ。